著作物性と言う要件 (09:29)
ところでhighbiscusさんと私の間での著作権に関する認識で、もっとも大きな相違点を見つけた気がするんですが、元気ないしなおさんに - その3 : highbiscus -北国tvにおいて、
一般に,音楽ついても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。
という自ら挙げた例文に対して、
これらがこの文脈で書いてあって、「音楽は思想又は感情を創作的に表現したものの場合のみ著作権を持つ」とか(偶発の音じゃあかんのだろうな)、「絵は思想又は感情を創作的に表現したものの場合のみ著作権を持つ」って制限を言った意味合いの文章と訳するのは文脈的に無理あるでしょう。
「音楽も著作権の対象物」と言った文章ですよ。
と評価しているということは、(フェアユースおよび融合法理による例外を除き、)音楽はそれが独自の創造物である限り(偶発の音であっても)、著作権を持つと考えるわけですか?
「思想又は感情を創作的に」という要件を十分に満たしているかどうかで、著作権が認められるかどうかは変わってくる、という(私の)見解は間違いであるという主張でしょうか?
「文脈を読む」と「こじつけ」の境界 (09:24)
この話題は本筋じゃないだろうけど、プロレス的にはやっておいた方がいいんだろうから続けます。
「文脈を読む」と「自分の解釈を前提に文章を読む」とは違います。自分の解釈を当てはめるために、実際にそこに書かれている文章や言葉の意味を改変するのは、「文脈を読む」と言う範囲を超えた「こじつけ」です。
一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。
が、
著作性のある表現はソフトウェア表示画面においても保護されるべきである(I)
という意味を持ち、それはさらに、
ソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である(II)
になるとするのは、あまりにも飛躍が大きすぎます。元文章→(I)は確かに元文章を要約したと言えますが、(I)→(II)は同じ文章ではありません。「著作性のある表現(である場合に)は」がもつ「限定」の意味が抜け落ちています。
この「すなわち」は、前半のソフトウェアも著作権の範疇であるという論旨を受け、さらに、であるからして、著作権に定められたように、美術的要素や学術的要素なら、美術の著作物にあたるし、図形に著作物にあたるであろうってこと。
に関しても同様です。自分の解釈は正しいから、この文章における「すなわち」は、「さらに、であるからして」という意味を持つ、という読み方は正しくありません。もしそう読みたい(「さらに」という添加の意味を持つとしたい)ならば、判決文の「すなわち」という言葉の選択は、間違っていると主張するべきでしょう。
※ちなみに私は、この「電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても」における「も」は、「電子計算機の指令」を差すにかかると考えている。指令自体(ソースコード)が著作物の要件を満たすことによって著作権で守られるのと同様に、「それによって表示される画面も」という解釈だ。その場合「すなわち」以降の文章が「プログラムの著作物」との差異を具体的に説明する文章となる。おそらくhighbiscusさんは、この「も」が「その他一般の著作物」を差すにかかるのだから、「当たり前の前提を提示しているにすぎない」という解釈なのだろうが、その場合は「すなわち」の意味に矛盾が生じる。
