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日記
highbiscusさん側に立った論を組んでみる (09:53)Edit

前回まとめた私の主張は、あくまでもhighbiscusさんの主張に対しての対論であって、別にその論だけが正しいと思っているわけではない。highbiscusさんの主張から理がありそうな点だけを抜き出して、前回の自分の主張に対する論を組んでみることにする。

JUGEMのテンプレート仕様は、JUGEMの創作物であることは明白だ。テンプレート変数名個々の表現については、それに著作物性があると言えるものではないが、仕様全体としては十分に著作物性を感得することができ、その仕様は著作権によって保護されると言えるだろう。だから、JUGEMのテンプレート仕様と互換性を持つsbは、JUGEMが著作権を持つ著作物を利用していると考える。簡単な使用許諾を得てはいるようだが、著作権法によってJUGEMが持つ権利全体を考えれば、正式な許諾を得た上で商用配布しているという情報が公開されない限りは、sbは著作権的にグレイな存在なのではないかという疑問を持たざるをえない。

なんて感じだろうか。もちろん基本的に私は「仕様全体としては十分に著作物性を感得することができ」という点に反対の立場を取るわけだし、その程度の著作権侵害の可能性をクリアにするためには「簡単な許諾」で十分だとも思っているわけだけど。あと最終的な結論としても「著作権を侵害している!」ではなくて「グレイだよね」程度しか言えないよなー。

それ以外の「画面表示が似ているし、sbはJUGEMを参考にしているという雰囲気もあったし、合わせ技一本で著作権侵害だ」なんて主張は論外だから、仮定の反対論としても不採用。具体的な侵害の証拠を出さない限りは、ただの言いがかりだ。あと「表示画面が同一だ」と何度も主張しているのは、どう見ても「テンプレート仕様」と「テンプレートデータ」の区別ができていないとしか思えない。

Published At2005-08-17 00:00Updated At2005-08-17 00:00

日記
今日のスポクラ (14:20)Edit

今日は、ウォームアップのウォーキングをスポクラまで走っていくことで代用した以外は、いつも通りのメニュー。ただ、毎日同じペースでやると飽きそうだから、マシントレーニングメインの日と持久力強化メインの日に分けようかなー。と思いつつある。マシントレーニングは、負荷に対応した筋肉が育っていくのを見ていると結構楽しい。

Published At2005-08-17 00:00Updated At2005-08-17 00:00

日記
今日のスポクラ (13:21)Edit

マシントレーニングメインにしようと思ったけど、2周目に入ろうと思ったら結構きつそうだったんでやめて、やっぱりいつものメニュー。バイクは90Wを20分やるのがなかなかいい感じ。ただ気を抜くと(特に呼吸をきちんとしていないと)脈拍数が警告レベル(175回/分)を越えてしまうんで、ピーピー警告音がうるさいなー。この辺は毎日続けていくと下がるんだろうか。

Published At2005-08-18 00:00Updated At2005-08-18 00:00

日記
だいぶ論点がまとまってきたな (13:27)Edit

まず簡単なところから。

いしなおさんがトーンダウン : highbiscus -北国tvより、

あと「表示画面が同一だ」と何度も主張しているのは、どう見ても「テンプレート仕様」と「テンプレートデータ」の区別ができていないとしか思えない。

に対して、

途中、テンプレの自由度を忘れてただけです(笑 うかつだった!

ということは、「表示画面が同一だからデッドコピーであり、著作権侵害である」という主張に関しては、勘違いによるものとして全面的に撤回するわけですね。

また、それ以外の画面表示の類似に関しても、

で、合わせ技一本は、HTMLソースレベルでの類似は徳保さんが言ってましたが、まあこればっかは印象だろうね。

程度の、具体的な侵害の証拠が提出できないレベルの印象論なんですね。少なくともデッドコピーレベルではあり得ませんよね*1。デッドコピーレベルではないとしたら、サイボウズ裁判の判例を敷衍すると、著作権侵害ではない程度の画面の類似である、という結論になりますね。

上記を認めてもらえれば、あとはJUGEMのテンプレート仕様が、著作権によって保護されるべき表現であるかどうか、という論点だけが残ります。

まずは、なんかねちねちしたチイセェ反論が(笑 : highbiscus -北国tvより、

AppleのROMを巡る裁判等でOSは共有されるべきシステムであるから模倣OK論を言った互換機側主張ははねのけられております

に関してですが、この裁判(1983年)は、OSバイナリが焼き付けられたROMの複製(デッドコピー)に関する判例です。ソースコードおよびバイナリの複製に関してはそれが著作権法違反であることを私は一度も否定しておらず、今回のsbとJUGEMの件(ソースコードは複製ではない)とは関係ありません。

あと同エントリーでは、Whelan判決(の中で過去のBaker v. Selden判決の解釈を述べている部分)を根拠に、アイディアが著作権によって保護されるという判断を支持しているようですが、highbiscusさんは1986年のWhelanデンタ・ラボ事件の判例が、現在もプログラムの著作権解釈に関して主流であると考えているわけですね。

この判例が、現在プログラムの著作権解釈として、どのようなものと位置づけられているのかを語らずに、この判例を根拠として持ち出すのは、かなり問題があるでしょう。

だいたいこの判決文を引用している元ページ自体ですら、

これはアメリカにおいて大きな議論を呼び、しかし大勢は、これに否定的であった。そして、これは後に Computer Associates v. Altai判決において判例上も否定されたと考えられている(次回において掲載予定)。従って、以下のWhelan判決は既に乗り越えられてしまった判決ではあるのだが

という意味合いで紹介されている判例なんですよ。

ちなみにこの判例を含めた、プログラムの著作権解釈の歴史的な流れについては、「21世紀へ向けて」が参考になります(Whelan判決は、ここではウェラン判決と表記されています)。

歴史の流れを簡単にまとめると、コンピュータ黎明期である〜1970年代まで、プログラムの権利をどう扱うべきかの指針が明確でなかった時代が続くが、1980年代には特許権ではなく著作権での保護が主流となる(ソースコードやバイナリが著作権で保護されることが明確になる)。その中でソフトウェアの著作権が拡大解釈(仕様の範囲まで)されていき、そのピークといえるのが、highbiscusさんが根拠として提示したWhelan判決。その後1990年以降の判例によって、ソフトウェアの著作権による保護範囲は狭くなり、仕様やインターフェースに関する著作権を(基本的には)認めない判例が続き、Whelan判決は否定される。代わりにプログラムの仕様などは特許権(権利を認められるためには審査に通る必要がある)によって保護される方向になっていく。

ただ、どうもhighbiscusさんがこだわっているのは、私の「仕様に関しては著作権は認められない」という主張のような気がしてきたので、その点については過去に「仕様に関して全面的に著作権は認められない」という表現をしている文章があった場合、それについては撤回します。

正しくは、「近年のプログラム著作権に関する判例や、互換プログラムが一般的に流通している実情を鑑みると、プログラムの仕様については、たいていの場合著作権は認められない」です。

そしてhighbiscusさんの「プログラムの仕様は、それが独自のものであり、かつ、公共的なもの(ってなんだろう?)でなければ、自動的に著作権が認められる」という解釈は支持しません。

ところで、ソースコードおよびバイナリが複製ではなく、仕様がクローンであるOSやさまざまなエミュレータや、データフォーマット互換のプログラムの存在については、どう考えているんでしょう?

なんかねちねちしたチイセェ反論が(笑 : highbiscus -北国tvにある、

あと、インポートならOKですが、これは要するにAppleIIの裁判でも述べられているAppleII用のソフトウェアの実行にAppleIIのROMをパクらねば実現できないというような融合法理は成り立たないという判例に対応した話でしょう。

あたりがその件に関するhighbiscusさんの解釈っぽいですが、上記の文章が具体的に何を言っているのかわからないので、もうちょっとわかりやすく解説して欲しいところです。

あと、私が「highbiscusさんのサイボウズ判決の解釈を認めていません」という件について、

まだ「ソースのみ保護するのだ!」と古臭い認識引っ張って主張したのを引きずってるなら、ここは改めてください。明らかに間違いです。認める認めないの話ではありませんし、間違ってるというならその論拠をお願いします。

私が、「サイボウズ判決は認めている」が「それをhighbiscusさんが独自に解釈した結果、他の事例に当てはめて根拠とすることを認めていない」という意味だとわかりますよね? 「プログラムの実行によって表示される画面の設計が、著作権による保護を受けうる(その条件は限定されている)」というサイボウズ判決の趣旨は認めているが、「だから、JUGEMのテンプレート仕様は著作権による保護を受ける」というhighbiscusさんの解釈は受け入れられない、ということです。

それにしても、highbiscusさんの東大レベルの国語能力は、

(1)ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。

という文章を、

サイボウズ裁判の判決文では判決冒頭で明確にソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)であると断じています。

と解釈するんですか? 「「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合」という条件を満たした場合のみ、「著作権法による保護の対象」になる。すなわち、ソフトウエアの画面が著作権法による保護を受けるための条件を述べた文章である、という解釈しかできないと思うんですが。

まさか、

本件において,原告は,原告ソフトは,個々の表示画面がそれぞれ著作物であることに加えて,相互に牽連関係にある各表示画面の集合体としての全画面も全体として一つの著作物であると,主張している。

の部分ではないですよね。これは原告の主張を述べた文章であって、裁判所の判断を述べた文章ではありませんよ。どうもhighbiscusさんが判例を根拠にする場合、原告の主張を裁判所の判断と混ぜて語ることが多いようですが、特にその判決が敗訴であった場合に、原告の主張は何の根拠にもなりませんよ。判決で否定されているんだから。

*1 デッドコピーならば簡単に証拠が提出できるはず

Published At2005-08-18 00:00Updated At2005-08-18 00:00

日記
プログラムの画面表示の著作権 (19:49)Edit

ああ、サイボウズ裁判の解釈は、応用以前の段階から違っているんですね。こっちにも答えておいた方がいいんでしょう。

いしなおさんのオレオレ著作権を突く : highbiscus -北国tvで、

(1)ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。すなわち,美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものであり,いわゆるコンピュータゲームにおいて画面上に表示される影像などには美術の著作物に該当するものも少なくないが,この点は,いわゆるビジネスソフトウェアについても同様に当てはまるものということができる。

の解釈として、

著作物とはなにか?法律には「思想又は感情を創作的に表現したもの」とあります。それに当たる場合は画面の表示も該当すると述べている部分です。

その上で、美術的要素の場合にはさらに「美術の著作物」(著作権法10条1項4号)に当たると考えられる旨を書いているのであって、いしなおさんの書き方では、あたかも美術の著作物でなければ著作権性は成り立たないといった文脈ですが、大嘘です。

とhighbiscusさんは読解していますが、highbiscusさんの読解の方が正しくありません。その二つの文章は、「すなわち」という(説明の)接続詞で接続されているんですよ。

「著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである」という文章を受けて、「すなわち」(つまり、言い換えれば)と続けているのですから、前段の文章をより具体的に(何の著作権を持つのか)説明しているのが「美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物や図形の著作物に該当することがあり得る」になります。

highbiscusさんの解釈(「その上で」という意味合い)で読むためには、ここの接続詞が「さらに」とか「また」とか「あるいは」などの添加や並列、選択の接続詞でないといけません。「すなわち」は、前段の表現を詳しく説明するための接続詞です。

Published At2005-08-18 00:00Updated At2005-08-18 00:00

日記
今日のスポクラ (11:19)Edit

いつものメニューだったんだけど、1人マシンを占有している人がいて、マシンが一つできなかった。いやまあ本格的に(何セットも)やっている人だったから正しい使い方なんだろうし、インターバルの時にちょっと割り込ませてもらうこともできただろうけど、そこまでしてやらなくてもいいしなー。そういや今日もバイクは90W20分やったんだけど、今日は1度も脈拍数の警告範囲に(というか170回/分すら)入らなかった。もう体が慣れたのか? 人間の体の順応性はすごいなー。

Published At2005-08-19 00:00Updated At2005-08-19 00:00

日記
今まで何度かやったのに (15:42)Edit

またやって、しかもしばらく気がつかなかったから、ここに書いておこう。

メール関連をインストールする前に、PHPをインストールしてしまうと、メール関連の関数は使えなくなりますよーーー。

メール周りは面倒くさいから、後回しにしがちなんだよなー。

Published At2005-08-19 00:00Updated At2005-08-19 00:00

日記
「文脈を読む」と「こじつけ」の境界 (09:24)Edit

この話題は本筋じゃないだろうけど、プロレス的にはやっておいた方がいいんだろうから続けます。

「文脈を読む」と「自分の解釈を前提に文章を読む」とは違います。自分の解釈を当てはめるために、実際にそこに書かれている文章や言葉の意味を改変するのは、「文脈を読む」と言う範囲を超えた「こじつけ」です。

元気ないしなおさんに - その4 すなわちより、

一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。

が、

著作性のある表現はソフトウェア表示画面においても保護されるべきである(I)

という意味を持ち、それはさらに、

ソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である(II)

になるとするのは、あまりにも飛躍が大きすぎます。元文章→(I)は確かに元文章を要約したと言えますが、(I)→(II)は同じ文章ではありません。「著作性のある表現(である場合に)は」がもつ「限定」の意味が抜け落ちています。

この「すなわち」は、前半のソフトウェアも著作権の範疇であるという論旨を受け、さらに、であるからして、著作権に定められたように、美術的要素や学術的要素なら、美術の著作物にあたるし、図形に著作物にあたるであろうってこと。

に関しても同様です。自分の解釈は正しいから、この文章における「すなわち」は、「さらに、であるからして」という意味を持つ、という読み方は正しくありません。もしそう読みたい(「さらに」という添加の意味を持つとしたい)ならば、判決文の「すなわち」という言葉の選択は、間違っていると主張するべきでしょう。

※ちなみに私は、この「電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても」における「も」は、「電子計算機の指令」を差すにかかると考えている。指令自体(ソースコード)が著作物の要件を満たすことによって著作権で守られるのと同様に、「それによって表示される画面も」という解釈だ。その場合「すなわち」以降の文章が「プログラムの著作物」との差異を具体的に説明する文章となる。おそらくhighbiscusさんは、この「も」が「その他一般の著作物」を差すにかかるのだから、「当たり前の前提を提示しているにすぎない」という解釈なのだろうが、その場合は「すなわち」の意味に矛盾が生じる。

Published At2005-08-20 00:00Updated At2005-08-20 00:00

日記
著作物性と言う要件 (09:29)Edit

ところでhighbiscusさんと私の間での著作権に関する認識で、もっとも大きな相違点を見つけた気がするんですが、元気ないしなおさんに - その3 : highbiscus -北国tvにおいて、

一般に,音楽ついても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。

という自ら挙げた例文に対して、

これらがこの文脈で書いてあって、「音楽は思想又は感情を創作的に表現したものの場合のみ著作権を持つ」とか(偶発の音じゃあかんのだろうな)、「絵は思想又は感情を創作的に表現したものの場合のみ著作権を持つ」って制限を言った意味合いの文章と訳するのは文脈的に無理あるでしょう。

「音楽も著作権の対象物」と言った文章ですよ。

と評価しているということは、(フェアユースおよび融合法理による例外を除き、)音楽はそれが独自の創造物である限り(偶発の音であっても)、著作権を持つと考えるわけですか?

「思想又は感情を創作的に」という要件を十分に満たしているかどうかで、著作権が認められるかどうかは変わってくる、という(私の)見解は間違いであるという主張でしょうか?

Published At2005-08-20 00:00Updated At2005-08-20 00:00

日記
GTD本ようやく読み終わった (12:05)Edit

をようやく読み終わった。

書いてある内容はとてもいいんだけど、文章とか構成にかなり問題があって、八割方読んだところでしばらく放り出してしまった。これだけ内容がいいのに、本自体の評価は低いってのは珍しい。翻訳のせいなのか原文からこうなのかは不明。でも翻訳も悪いことは確かだな。修正したくなる部分や原文を参照したくなる(翻訳だけでは意図がつかめない)部分がいくつもあったし。

で、この間試してみて、GTD的なやり方というのは確かにとても有用だということはよく分かっていたし、「Getting Things Done (a.k.a. GTD) (1) (2) (3) (4)」のまとめを読めば十分にその骨子はつかめることは確かなんだけど、せっかくだから自分なりにGTDのポイントをまとめてみることにする。

ただ、本家GTDのやり方であまり好みじゃなかったり、自分には関係なさそうな(使わなそうなシチュエーション向けの方法論とか)ところは、かなり自分流に曲げて解釈しているんで、正確にはGTDのポイントのまとめというよりは、GTDを自分で採用するならばこんな感じにしようといった指針に近いかな。理論的なバックボーンはGTDのものをそのまま借りる。

  1. 脳の中にだけある雑多な情報を、脳から外部メディアに出力することで、脳の能力の無駄遣いを解消する
  2. 出力した情報を整理整頓し、不要なものは捨て、必要なものはきちんとリスト化する
  3. ToDoリストを、具体的な行動レベルに展開してしまう
  4. 時間軸でToDoリストを整理する
  5. 状況でToDoリストを整理する
  6. 「依頼」と「待機」によってToDoリストを整理する

注意!

ここでまとめているGTD関連の話は、GTD本に書かれている内容をそのまままとめたものではありません。ここに書かれているのは、私がGTD本を読んで得た知識を元に、その骨子を応用した仕事管理ツール(プログラム)の仕様を考える試行錯誤の過程です。そこにはGTD本に書かれている内容とは異なる部分も含まれており、ここの文章を元に本家GTDを理解しようとすることはお薦めしません。

Published At2005-08-22 00:00Updated At2005-08-22 00:00