日記
XMLにおける「ボヘミアンと貴族の階級闘争」 from @IT (13:49)Edit

XMLの意義はボヘミアン方面と貴族方面の二つともにあると思っているけれども、個人的には、

  • ローカルなデータ
    • 汎用的ではなく、少数のアプリケーションからしか使われない
  • データ仕様が完全にフィックスしていない、あるいは気軽に拡張したい
    • 拡張する際には、XMLフォーマットを活かしたい
      • 子階層で配列が持てる
      • 各項目で使用できる文字に制限が少ない(改行なども使える)
      • 文字コードの扱いが明確
      • 異バージョンデータ形式の扱いが楽
        • ノードが見つかったら使い、見つからなければ使わない(あるいはコード側でデフォルト値を設定する)
  • 複数のレコードを串刺し検索したりすることはさほど多くない(RDBにした方がいいかどうか)
  • XMLが扱いやすい言語プラットフォーム上で使う

というボヘミアン的な用途で、適当(アバウト)に使えるデータ形式としての意義を活かして使うことが多い。

もう一つの意義である、

  • 汎用的なデータ
    • そのデータの読み書きは、さまざまなアプリケーションから行われる
  • 仕様が明確に決まっており、ノード単位の正当性チェックまで自動で行われる
  • XMLフォーマットの拡張性ではなく、基本的な表現能力を重視する

という貴族的な使い方については、すでに仕様が決まっている技術に乗っかりたいときだけ意識するけれども、そういうデータを扱いたい場合も自分のコードでは結局ボヘミアン的な扱いをしている(用途に合致する貴族的高機能ライブラリが存在した場合は、それを使うだろうけど)。

という現状においては、最低限プリミティブなXMLライブラリさえ存在してくれれば(なくなることはないだろうけど)、今後のXMLの主流がどうなろうとも(貴族方面に推し進められようとも)、俺にとってはあまり影響がないかなーという気もする。

XMLみたいな夢が大きい(やろうと思えばなんでもできる)仕組みに対して、その可能性を最大限にいかそうとしたときに、「なんでもできる」=「混沌」へと流されないように、きっちりとした枠組み(秩序)に基づいて使うことを義務づけたい(=貴族)という意図と、工数をかけずにちょっとした用途でも便利に使えるのならば使いたい(=ボヘミアン)という意図の対立。

その秩序は本当に必要な秩序なのかそれとも不必要な締め付けなのか、という問題なのかな。

Published At2003-04-16 00:00Updated At2003-04-16 00:00