日記
悲観的になる理由 (13:50)Edit

RFIDセキュリティに関する議論が、もしも技術に対して楽観的な立場を取る(善用を重視する)か、悲観的な立場を取る(悪用される可能性を重視する)か、という違いだったとして。

現在の世の中は、非常に楽観的な設計によるシステム(コンピュータ技術に限らず、社会的なシステムもそう)で構成されている。さまざまなシステムに裏口があることは知られているし、実際にその裏口を使ったさまざまな被害が起きている。

コンピュータ技術においては、最近流行っているウイルスワームなどの問題や、顧客情報の流出、あるいはブラクラブラウザークラッシャー)や迷惑メールなども、システムの楽観的な設計が原因の被害であるといえる。

また、住民票などのセキュリティが非常に甘い(なりすましによる取得や届け出が可能)という現状や、いわゆる悪徳商法とよばれるものもその多くは、その原因(の一部)としてシステムの楽観的な設計が挙げられる。

それでも今まではそれなりにうまく回ってきたし、これからもそれなりにうまく回っていく可能性は確かにある。

しかし、コンピュータ化が進むと、小さな力で大きな影響を生み出すことがどんどん容易になっていく。それは、コンピュータウイルスの影響力が、昔と比べてどんどん大きくなっていることからも類推できる。昔も今もコンピュータウイルスを作るための手間はそれほど変わっていない(はずだ)が、被害は桁違いに増えている。

たとえばインターネット上を見回してみよう。もともとインターネットは善意のユーザー(コンピュータ)を期待する要素が多い設計だが、最近では悪意のユーザーに対抗するための技術も充実しつつある。アクセスコントロールパケットフィルタリング暗号化などさまざまな技術が作り出され、利用されている。

しかし、そのような安全な技術を用いているのは、ほんのごく一部だけだ。インターネットを構成するさまざまな部分に、楽観的な設計による穴が空いている。たまたま無事に過ごせているだけで、もしもそこを集中的に攻撃されたらひとたまりもない。それは、これだけさまざまなウイルスによる被害が報じられてもなお、新しいウイルスが発生すると同じように多くの人たちが感染していることからも分かる。

そういう現状を見ていると、これだけ穴だらけの世の中で、致命的なほどに大きな問題がなかなか起きないのは、本当にただの偶然というか、幸運であるに過ぎない、という気がしてくる。

で、RFIDだ。RFIDも、現状を見ている限りでは、同じように楽観的な設計によるシステムとして実用化されてしまいかねないもののように見える。しかも、RFIDはインターネットのような仮想世界的な要素が強いものとは違い、現実の世の中の人々の生活に直接影響を及ぼすような要素となりうる。さらに、新しくてスマートな技術はその悪用方法もスマートになりそう(秩序だったハイテクほどあらゆる意味で使いやすい)。

もしもインターネットと同程度の穴だらけのシステムを、現実の世の中の人々の生活にまで持ち込まれたらたまらないよなー。ちょっとでも危険性がありそうだったら問題視しておかないと、あぶなそうだなー。というのが悲観主義者(私)の考え方。

Published At2003-08-20 00:00Updated At2003-08-20 00:00