日記
だいぶ論点がまとまってきたな (13:27)Edit

まず簡単なところから。

いしなおさんがトーンダウン : highbiscus -北国tvより、

あと「表示画面が同一だ」と何度も主張しているのは、どう見ても「テンプレート仕様」と「テンプレートデータ」の区別ができていないとしか思えない。

に対して、

途中、テンプレの自由度を忘れてただけです(笑 うかつだった!

ということは、「表示画面が同一だからデッドコピーであり、著作権侵害である」という主張に関しては、勘違いによるものとして全面的に撤回するわけですね。

また、それ以外の画面表示の類似に関しても、

で、合わせ技一本は、HTMLソースレベルでの類似は徳保さんが言ってましたが、まあこればっかは印象だろうね。

程度の、具体的な侵害の証拠が提出できないレベルの印象論なんですね。少なくともデッドコピーレベルではあり得ませんよね*1。デッドコピーレベルではないとしたら、サイボウズ裁判の判例を敷衍すると、著作権侵害ではない程度の画面の類似である、という結論になりますね。

上記を認めてもらえれば、あとはJUGEMのテンプレート仕様が、著作権によって保護されるべき表現であるかどうか、という論点だけが残ります。

まずは、なんかねちねちしたチイセェ反論が(笑 : highbiscus -北国tvより、

AppleのROMを巡る裁判等でOSは共有されるべきシステムであるから模倣OK論を言った互換機側主張ははねのけられております

に関してですが、この裁判(1983年)は、OSバイナリが焼き付けられたROMの複製(デッドコピー)に関する判例です。ソースコードおよびバイナリの複製に関してはそれが著作権法違反であることを私は一度も否定しておらず、今回のsbとJUGEMの件(ソースコードは複製ではない)とは関係ありません。

あと同エントリーでは、Whelan判決(の中で過去のBaker v. Selden判決の解釈を述べている部分)を根拠に、アイディアが著作権によって保護されるという判断を支持しているようですが、highbiscusさんは1986年のWhelanデンタ・ラボ事件の判例が、現在もプログラムの著作権解釈に関して主流であると考えているわけですね。

この判例が、現在プログラムの著作権解釈として、どのようなものと位置づけられているのかを語らずに、この判例を根拠として持ち出すのは、かなり問題があるでしょう。

だいたいこの判決文を引用している元ページ自体ですら、

これはアメリカにおいて大きな議論を呼び、しかし大勢は、これに否定的であった。そして、これは後に Computer Associates v. Altai判決において判例上も否定されたと考えられている(次回において掲載予定)。従って、以下のWhelan判決は既に乗り越えられてしまった判決ではあるのだが

という意味合いで紹介されている判例なんですよ。

ちなみにこの判例を含めた、プログラムの著作権解釈の歴史的な流れについては、「21世紀へ向けて」が参考になります(Whelan判決は、ここではウェラン判決と表記されています)。

歴史の流れを簡単にまとめると、コンピュータ黎明期である〜1970年代まで、プログラムの権利をどう扱うべきかの指針が明確でなかった時代が続くが、1980年代には特許権ではなく著作権での保護が主流となる(ソースコードやバイナリが著作権で保護されることが明確になる)。その中でソフトウェアの著作権が拡大解釈(仕様の範囲まで)されていき、そのピークといえるのが、highbiscusさんが根拠として提示したWhelan判決。その後1990年以降の判例によって、ソフトウェアの著作権による保護範囲は狭くなり、仕様やインターフェースに関する著作権を(基本的には)認めない判例が続き、Whelan判決は否定される。代わりにプログラムの仕様などは特許権(権利を認められるためには審査に通る必要がある)によって保護される方向になっていく。

ただ、どうもhighbiscusさんがこだわっているのは、私の「仕様に関しては著作権は認められない」という主張のような気がしてきたので、その点については過去に「仕様に関して全面的に著作権は認められない」という表現をしている文章があった場合、それについては撤回します。

正しくは、「近年のプログラム著作権に関する判例や、互換プログラムが一般的に流通している実情を鑑みると、プログラムの仕様については、たいていの場合著作権は認められない」です。

そしてhighbiscusさんの「プログラムの仕様は、それが独自のものであり、かつ、公共的なもの(ってなんだろう?)でなければ、自動的に著作権が認められる」という解釈は支持しません。

ところで、ソースコードおよびバイナリが複製ではなく、仕様がクローンであるOSやさまざまなエミュレータや、データフォーマット互換のプログラムの存在については、どう考えているんでしょう?

なんかねちねちしたチイセェ反論が(笑 : highbiscus -北国tvにある、

あと、インポートならOKですが、これは要するにAppleIIの裁判でも述べられているAppleII用のソフトウェアの実行にAppleIIのROMをパクらねば実現できないというような融合法理は成り立たないという判例に対応した話でしょう。

あたりがその件に関するhighbiscusさんの解釈っぽいですが、上記の文章が具体的に何を言っているのかわからないので、もうちょっとわかりやすく解説して欲しいところです。

あと、私が「highbiscusさんのサイボウズ判決の解釈を認めていません」という件について、

まだ「ソースのみ保護するのだ!」と古臭い認識引っ張って主張したのを引きずってるなら、ここは改めてください。明らかに間違いです。認める認めないの話ではありませんし、間違ってるというならその論拠をお願いします。

私が、「サイボウズ判決は認めている」が「それをhighbiscusさんが独自に解釈した結果、他の事例に当てはめて根拠とすることを認めていない」という意味だとわかりますよね? 「プログラムの実行によって表示される画面の設計が、著作権による保護を受けうる(その条件は限定されている)」というサイボウズ判決の趣旨は認めているが、「だから、JUGEMのテンプレート仕様は著作権による保護を受ける」というhighbiscusさんの解釈は受け入れられない、ということです。

それにしても、highbiscusさんの東大レベルの国語能力は、

(1)ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。

という文章を、

サイボウズ裁判の判決文では判決冒頭で明確にソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)であると断じています。

と解釈するんですか? 「「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合」という条件を満たした場合のみ、「著作権法による保護の対象」になる。すなわち、ソフトウエアの画面が著作権法による保護を受けるための条件を述べた文章である、という解釈しかできないと思うんですが。

まさか、

本件において,原告は,原告ソフトは,個々の表示画面がそれぞれ著作物であることに加えて,相互に牽連関係にある各表示画面の集合体としての全画面も全体として一つの著作物であると,主張している。

の部分ではないですよね。これは原告の主張を述べた文章であって、裁判所の判断を述べた文章ではありませんよ。どうもhighbiscusさんが判例を根拠にする場合、原告の主張を裁判所の判断と混ぜて語ることが多いようですが、特にその判決が敗訴であった場合に、原告の主張は何の根拠にもなりませんよ。判決で否定されているんだから。

*1 デッドコピーならば簡単に証拠が提出できるはず

Published At2005-08-18 00:00Updated At2005-08-18 00:00