日記
「文脈を読む」と「こじつけ」の境界 (09:24)Edit

この話題は本筋じゃないだろうけど、プロレス的にはやっておいた方がいいんだろうから続けます。

「文脈を読む」と「自分の解釈を前提に文章を読む」とは違います。自分の解釈を当てはめるために、実際にそこに書かれている文章や言葉の意味を改変するのは、「文脈を読む」と言う範囲を超えた「こじつけ」です。

元気ないしなおさんに - その4 すなわちより、

一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。

が、

著作性のある表現はソフトウェア表示画面においても保護されるべきである(I)

という意味を持ち、それはさらに、

ソフトウェアの外観面でのデザインも、著作権の「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である(II)

になるとするのは、あまりにも飛躍が大きすぎます。元文章→(I)は確かに元文章を要約したと言えますが、(I)→(II)は同じ文章ではありません。「著作性のある表現(である場合に)は」がもつ「限定」の意味が抜け落ちています。

この「すなわち」は、前半のソフトウェアも著作権の範疇であるという論旨を受け、さらに、であるからして、著作権に定められたように、美術的要素や学術的要素なら、美術の著作物にあたるし、図形に著作物にあたるであろうってこと。

に関しても同様です。自分の解釈は正しいから、この文章における「すなわち」は、「さらに、であるからして」という意味を持つ、という読み方は正しくありません。もしそう読みたい(「さらに」という添加の意味を持つとしたい)ならば、判決文の「すなわち」という言葉の選択は、間違っていると主張するべきでしょう。

※ちなみに私は、この「電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても」における「も」は、「電子計算機の指令」を差すにかかると考えている。指令自体(ソースコード)が著作物の要件を満たすことによって著作権で守られるのと同様に、「それによって表示される画面も」という解釈だ。その場合「すなわち」以降の文章が「プログラムの著作物」との差異を具体的に説明する文章となる。おそらくhighbiscusさんは、この「も」が「その他一般の著作物」を差すにかかるのだから、「当たり前の前提を提示しているにすぎない」という解釈なのだろうが、その場合は「すなわち」の意味に矛盾が生じる。

Published At2005-08-20 00:00Updated At2005-08-20 00:00